Renkei日記 - 八十島法律事務所

2013-01-22 Tue

天野忠ほか編「コルボウ詩集」(コルボウ詩話會) 昭和26年9月20日刊


 戦争中四散してしまって、その生命の存否さえも不明だった詩人たちが、まるで自分の體温を探りあてたように、戦後の無殘な闇黒の中でやっとお互いを見出しあって結びついたのが、僕たちのコルボウ詩話會であったと、天野は書いています。
 このコルボウ詩集は1960年の第10号まで出ているようですが、これは一番初めのもので、300部限定のものです。この詩集には、同人の略歴と住所録が載っていて、天野のそれは、北園町93となっています。天野の「我が感傷的アンソロジイ」で取り上げていた20人の詩人のうち半数の詩人が参加しています。
 天野の「どんどん生長する」から
   俺はこのごろどんどん生長するようだな
   どんどん年をとるばかりか
   俺の運命は皮を剥ぐようにさびれてくる
       (略)
   俺はどんどん死の方へ生長するんだな
   まるで水に濡れた煉瓦のようにしずかだな

2013-01-22 Tue 22:25 | 古本

2013-01-18 Fri

天野忠「わが感傷的アンソロジイ」 (書肆山田) 1988年3月25日刊


著者は、この本について、20年も前に、ひどく粗末な体裁で、ごく小部数を内輪の読者のための限定本として、小さな世間へ送り出したと書いています。いわゆる「世に迎えられず」に逝ってしまった詩人たち(行方不明の人もいます)について書かれた本です。
 大野新は、この本について、詩人の本質をあやまたずえぐる鋭さ、一瞥の間に、動く対象を截りとるデッサン力、センチメンタルな構えで、気どりやポーズを剥ぐ非情さにふるえたと書いています。
 たとえばこんな文章があります。
 「野殿啓介は、彼の持っている一番やさしいもので、自分を殺したのだと私は思う。」
 「決して正体を見せてくれない『話そうと思っていたもの』そのものを、しみじみと肚の底を打割って語り合う時間というものを、われわれは生きている三十年四十年の長い家庭生活の中に、たった十分間も、たいていは持てないことになっているらしい。それは誰にとっても、どうやらそのように定まっているらしい。その得がての十分間を、どんなに嘆けば納得のいくように取り戻せるものか、途方に昏れて侘しくかなしく、天の一角を恨みたらしくみつめるおっさんの場に、わが山村順さんは正当に立ちどまったのではあるまいか。」

2013-01-18 Fri 22:56 | 古本

2013-01-08 Tue

北條一浩編「冬の本」 (夏葉社)  2012年12月20日刊


 「冬の本」という言葉をめぐって、そこから発想できることを自由に書いてもらったと、はしがきに書かれています。唯一のルールが、「冬」と「本」の二つがそこにあることだそうです。作家やライターといった、プロの書き手ばかりでなく、古書店主なども執筆しています。見開き2ページに収めているところもよいと思いました。紹介したい文はたくさんあるのですが、児童文学作家の岩瀬成子氏の次の文なんかどうでしょう。
  近頃は、ただ歩いている人を見なくなった。
  ただ歩きつづけていたあの人たちは人生の網目から抜け出ているように見えた。
  そんなものは身につけず、そんなものは捨てていたのかもしれない。
  その姿から何か受け取っていたのだが、
  それが何だったのかを今もはっきり言うことができない。

2013-01-08 Tue 18:05 | 新刊本

2012-12-19 Wed

司修 「孫文の机」 (白水社)  2012年11月10日刊


 著者は、画家の大野五郎氏と、59年の夏ころから、2006年3月に96歳でなくなられるまで、親しく付き合っていました。この大野五郎という人の祖父も、そして父親も、あの谷中村の村長をしており、12歳年上の兄が和田日出吉、3歳上の兄が逸見猶吉です。
 和田日出吉という人は、女優の小暮実千代の夫だった人で、戦前は新聞記者として、2・26事件のときに、いち早く首相官邸に入って取材をしたり、財閥批判の記事を書いたりしていたのですが、戦争中は、満州にわたり、新聞社を経営したり、あの甘粕正彦が理事長を勤めていた満州映画協会の理事をしたりしていました。
 次兄の逸見猶吉は詩人で、学生時代にバーを経営し借金を作り函館に逃げたり、戦争中は、兄と同様満州に渡っていますが、当初は詩人であることは隠して生活していたのですが、晩年には、満州文芸家協会を代表する人物となり、戦意高揚詩を書いていますが、満州で病死しています。
 猶吉について、著者は、「詩人逸見猶吉の魂の死は単純なものではない。毒ガスの臭いを誰よりも早く嗅いで死ぬカナリアのごとく死を選んだ。それはマユタン(幼くして死んだ娘のこと)を救う詩が書けない詩人の方法であったのだと思う。」と書いています。
 書名となっている孫文の机とは、日出吉が、雑司ヶ谷の古道具屋で買い求めたもので、日出吉から、孫文が持っていたものだから大事に使えといわれ、五郎氏がもらったものということですが、五郎氏は、あっさり友人にあげています。これは、五郎氏が、鉛のように重たい問題を断ち切ったのではないかと著者は考えています。
 著者は、この孫文の机をとおして、この三兄弟が生きた昭和のはじめから戦争中の時代、この時代は2・26事件から戦争へと続いた時代でしたが、「津波のごとく襲った歴史の恥部が」現れてきたと述べています。そして、「孫文の机」は昔のことではないと言っています。
 

2012-12-19 Wed 18:48 | 新刊本

2012-12-14 Fri

山口正介「江分利満家の崩壊」(新潮社)2012年10月20日刊


 作家山口瞳の妻であり、著者の母であった山口治子氏の晩年から葬儀のあとまでの日常を描いたものです。治子氏は、不安神経症で、乗り物にも乗れず、一人で買い物にも行けないような人で、常に夫や息子それにごく親しい人のサポートが必要な人でした。
 この本は、作家という只者ではない人を父に持ち、これまた特異な性格を持った人を母に持ちながら、他人には決してわからない想いを淡々と綴ったものです。
 著者は、「母は夫にさんざん書かれたというのに、息子に創作上のアイデアを提供しようというのだ。精緻な腑分けができたとは思わないが、この母についての原稿は、母から僕に与えられた、執筆の材料という献体だと思っている。」と書いています。

2012-12-14 Fri 17:42 | 新刊本

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