2013-07-10 Wed
著者は、出版社勤務の後、現在はフリーの編集、校正者とあります。つまり評論家ではありません。ですが、各作家の著作の古本との出会いが書かれてあり、それが、こうした文章を書かせたのでしょう。
取り上げられている作家は、木山捷平、小山清、川崎長太郎、小沼丹、葛西善蔵ら16人です。いずれも大作家とはいえないかもしれませんが、根強いフアンを持っています。このラインナップをみますと、どうしても読みたくなってしまいます。
小山については、「決して庶民のつましさだとか、その逆にたくましさだとかだけ描いた小説ではない。(略)面白おかしく登場人物を動かしているのではない。言葉で人間を作り出しているのではないのだ。(略)あくまで言葉を削り、大仰な物言いもなく書き表しているのである。」
また葛西については、「この時代の文学者は等しく人間を描写することの虚しさと非力を味わっていたに違いない。(略)葛西の文学は、読者にも素直な読みこみを許さない。(略)それほどに葛西の文学は複雑であり(略)読者に挑戦しているふうに思われる。」
2013-07-10 Wed 19:06 | 古本
2013-07-02 Tue
著者は、詩人で文筆家といったところでしょうか。10代のときに辻潤と出会い、以降釜ヶ崎で暮らし、1999年7月に亡くなっています。
この本は、菊岡久利、小野十三郎、萩原恭次郎や秋山清といった詩人についての論考や、小川三男、木村艸太、石川三四郎など交流のあったアナキストたちのことが書かれています。
なかでも詩人の岡本潤については、こんなことを書いています。
「同棲37年目にして法的婚姻。その間多くの『無頼と放蕩』や貧乏や運動を通して、そこに独自な愛の持続があった。詩でも生き方でも試行錯誤を繰り返していわば不安定に終始した。あるいは強調して安定をわれから拒んだと言ってもいいはずである。そうして強がったりはにかんだりしていた。」
2013-07-02 Tue 19:22 | 古本
2013-07-01 Mon
江口しんいちの伝記です。江口は、昭和12年に大学を卒業後、小さな出版社の編集者を勤めたあと、戦争中は満州で新聞記者の傍ら詩作をしていました。戦後は、文芸誌の編集長をし、部下に、梅崎春生がいました。著者も、終戦直後江口の元で働いていました。
この江口という人は、ポケットの中に金があると酒場への誘惑に勝てず、月給やたまに入る詩や童話の原稿料も、きちんと家に入れたことがありませんでした。それでいて酒を飲んで妻に暴力を振るい、失神するほど殴りつけたり、樫の木の下駄で警官を殴りつけたりというような人物でした。
昭和22年の年末に会社を辞めフリーになるも、生活は悲惨そのものだったにもかかわらず、浮気までして、妻は自殺未遂をします。
昭和31年江口は「地の塩の箱」運動を始めます。これはなんとなく記憶があるのですが、一種の慈善運動で、お金に困った人は誰でも、箱の中のお金を受け取れるというものでした。
その後も相変わらず生活は悲惨で、妻は癌であることが分かるのですが、お金がないため満足な治療が受けられず、50歳で亡くなります。そして、末娘は自殺し、江口本人も運動が行き詰るなか昭和54年4月22日自殺後に発見されます。
著者が、ある人物が語った言葉として引用しているものです。
「文学というのは、向こう岸の見えない川を渡るようなもので、いいところで引っ返さなかった奴は、しだいに深みにはまって、二進も三進も行かなくなってしまう。」
でもその深みを見ないと文学にはならないんでしょうね。
2013-07-01 Mon 19:59 | 古本
2013-06-25 Tue
あとがきで、大野は、「ひと言でいえば、私の文は、『沙漠の椅子』に耐えた、あるいは耐えつつある詩人への賛辞に尽きるだろう。」と書いています。
この本で取り上げている詩人は、石原吉郎、清水昶、天野忠などです。
石原については、「自分が被害者の一人として生きのびたことをはげしく責めつづけたただひとりの日本の表現者である。」と書いています。
また、天野については、次のようなエピソードを紹介しています。
関西の詩人たちが、西脇順三郎と京都南禅寺のある庵で会合したときに、天野が西脇に、京都人気質というのは、あくまで一定の距離をとってもらいたいというものだと話した後で、「庭は便所の窓からみるのがよろしいな。庭が油断してますさかいに。」と言ったと。
こういうのを「いけず」というのでしょう。
2013-06-25 Tue 19:40 | 古本
2013-06-24 Mon
井上は、1902年滋賀県近江八幡市で呉服屋の長男として生まれ、生涯衣服の行商を生業とした人でした。昭和20年に43歳で応召され、その年敗戦を迎え、ウラジオストックなどで約1年半、収容所で抑留生活を経験しています。このときセメント袋のはじをメモ帳にして、詩を書いては褌に秘し、帰国後「浦塩詩集」を刊行しています。
彼は昭和41年4月に交通事故で亡くなりますが、戦前モダニズム詩人として出発し、生涯詩作を続けました。「詩は私の宗教」というのをモットーにしていたそうです。
未発表遺稿から
偶
おもいだしたような営みだが
ときには女房が
曲がった腰をのばして
こえを上げることがある
私もついつりこまれて
老年を忘れたりするのだが
愛はさりげなく
そのぐるりをとり巻いていた
2013-06-24 Mon 19:36 | 新刊本
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