Renkei日記 - 八十島法律事務所

2013-10-15 Tue

板倉重雄「カラヤンとLPレコード」 (アルファベータ) 2009年9月1日刊


 著者は1965年生まれで、HMVジャパン(株)の社員です。
 これは企画が面白いと思いました。あのカラヤンの、しかもLPレコードの本を作るとは。
 年代的には、自分の小遣いでパッケージソフトを買えるころには、CDの時代になっていたと思うのですが、小学校3年生のときに、カラヤン指揮のスッペの「軽騎兵」序曲を聴いて、クラシック音楽の魅力にはまったとありますから、LPレコードに十分なじんでいたということなのでしょう。
 この本を書いた理由として、「現在、パッケージソフトの売り上げが、音楽配信などに押されて不振である。パッケージソフトとしての魅力について考えていたとき、カラヤンのLPレコードというのは、やはり理想的な形ではないかと思い始めたことが、この本を執筆した大きな動機となっている。」と書いています。
 カラヤンに興味がなくても、パッケージソフトにこだわりを持っている人であれば、楽しく読めると思います。

2013-10-15 Tue 19:21 | 新刊本

2013-10-15 Tue

高橋英夫「京都で、本さがし」 (講談社) 1999年5月20日刊


読書や本ないし作家にまつわるエッセイ集です。
 気になった文章として、
 「予定された生活と不意の出来事の分裂だか競い合いだかの間から湧き出してくる人生の味をとらえること、それが文学の役割の一つなのではないか、というようなことを思う。」
 「戦後の日本人が知ったのは、日本人として敗れ、傷つくということだけではなかった。一人の人間として、誰ともかかわりなしに傷つき、打ち倒されるということも人の世にはある、それを太宰治は典型的に表現したのである。ネガティヴなかたちをとった個人的感情教育、そういうものを太宰治の生死と作品は現代に残してくれたのだと思う。」

2013-10-15 Tue 19:17 | 古本

2013-10-11 Fri

北村太郎 「樹上の猫」 (港の人)  1998年10月26日刊


 詩人北村の雑文集で、少年のころの思い出や、時事問題、童話や小説も収められています。
 北村は、少年時代から、個人詩集を買って熟読したとありますが、「わたくしは、少年のころ読んだすべての詩に恩恵を蒙っている。しかし、敗戦後、それら全部におさらばしようと思った。」「彼ら戦前の詩人に『別れ』という感覚を持ちつづけていたいのである。」と書いています。
 ほかにも、田村隆一について、「田村くんは、初手から世間を虚仮そのものと観じつつ、或日翻身してモダニズムの滑稽さを体得した。」、吉岡実の「うまはやし日記」について、涙がにじんできて、ふしぎな感動を覚えた。」、幸田露伴の「猿蓑抄」について、「にわかに文芸の深さ、広さに目が開かれた思いがした。」と書いています。
 限定1000部の本で、自作の詩を朗読したCDが入っています。

2013-10-11 Fri 19:37 | 古本

2013-10-10 Thu

河野仁昭 「天野忠さんの歩み」(編集工房ノア) 2010年3月8日刊


 生前天野と親交のあった著者による、詩人天野忠の戦前の活動から死に至るまでについて書かれた本です。
 天野は、昭和10年5月に仲間たちと同人誌「リアル」を発刊しますが、昭和12年8月に「リアル」の仲間が治安維持法違反で検挙されます。そして「リアル」は解散を命じられ、以後天野は、戦争が終わるまで、一切沈黙を守ります。敗戦の年、天野は36歳になっていました。このことが、彼の精神にどのような影響を与えたのかについては、はかり知ることができません。
 戦後彼は出版社に勤め、上林暁の本を出したりしていますが、そこをやめ、一時古本屋をやっています。所詮素人でしたので、すぐにやめ、昭和26年5月から定年を迎える昭和47年まで、大学付属図書館に勤務します。
 昭和24年5月にコルボウ詩話会を発足し、これは昭和35年10月まで続きます。
 天野は、早くから、「わしは年寄りやさかい」といっていたにもかかわらず、老いを感じさせられたことはなかった、60歳から70歳代が詩人のピークだったと著者は書いています。
 天野は平成5年10月28日84歳で亡くなりました。

2013-10-10 Thu 19:49 | 古本

2013-10-01 Tue

河野仁昭「詩のある日々〜京都」(京都新聞社) 1988年11月5日刊


 著者は詩人でもありましたが、昨年2月20日に逝去されました。第1部は、京都新聞に連載していたもので、代表的な詩人の作品を取り上げ論評しています。例えば、「詩の題材には急所のようなものがあって、急所が見えてきたとき、ひょいと掬いあげる。」(天野忠)、「過去の詩人の在り方を徹底的に批判した筆頭は彼であった。」(黒田三郎)、「戦後社会に復帰したとき、犠牲の意味も、生きていく意義も見出しえなかった。」(鮎川信夫)、「十全な生が得られない社会は、十全な死もまた得られぬ社会なのである。」(田村隆一)といった記述が見られます。
 第2部では、戦後の京都で詩活動をおこなった人のことを書いています。なかの、「黒瀬勝巳を悼む」というところで、「生前は一冊の詩集しか持たなかった。血のつながる者への愛惜と、生活者の苦渋を、一見軽いと見られるタッチで、しんみりと描いた。」と書いています。その彼の「背中」という詩が引用されています。
  たしかに広い背中だが     娘よ
  黒板じゃないのだ
  おまえは チョークをもって  おれの背中に
  おぼえたての くろせの「く」 を書きたがるが
            (略)
  娘よ   ひっかついてきたすべてのものをおろし  
  もう   どんな「く」だって
  背負いたくない
  とおれは思っているのだ

2013-10-01 Tue 20:09 | 古本

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