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2011-10-27 Thu

少なからぬ費用と時間を費やして小説を読むわけですが、実は、小説とは何ぞや、一体何のために読むのかと改めて問われると、即答することはなかなか難しいものです。単なる暇つぶしと言うのもなんですし。
並み居る小説家の中でも、小説とはなんぞやという問題について意識的に文章を書いている小説家である高橋氏の小説教室です。私も250円を払って(すみません)受講してみました。
いわく「小説は書くものじぁない、つかまえるものだ」、「世界が全く違うように見えるまで、待つ」、「小説をつかまえるためには、こっちからも歩いていかなければならない。」、「小説を、あかんぼうがははおやのしゃべることばをまねするように、まねる」。
う〜ん。「知っている」ということと、「ほんとうに知っている」ということとはまるで違うのです。こういうことは、小説のことを「ほんとうに知っている」からこそ書けるんでしょうね。
2011-10-27 Thu 17:00 | 古本
2011-10-26 Wed

ゆっくり読むと題したエッセイの中に、「先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の1行が目にふれた。呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。この小説を読んだのは3回目である。」とあり、3度目にして初めてこの1行に気がついたとし、それまでは目には映っていたが印象をとどめなかった理由は、速く読んだからだと書いています。
そんなことは、今まで数え切れないくらい、いやひょっとしたら、ほとんど大事なところを読み飛ばしているかもしれないと反省させられます。本を読んでなにを得るかについては、勿論集中してゆっくり読むのも大事でしょうが、読む側の体調や知識さらには関心事やその時々の感情のあり方にも大きく左右される気がします。
それくらい本を読むことは難しいと考える今日この頃ですが、それは、何も読書に限らないことかもしれません。
2011-10-26 Wed 20:51 | 新刊本
2011-10-05 Wed

道の中央を歩くと、まぶしくて倒れそうになるから、いつも道の端の日陰を歩いていた天野忠、二十歳を前に「もう俺は、だめなんだ」と書き、その自分の言葉にとらわれ、悪あがきすることをよしとしなかった矢牧一宏、愚直に文学と酒を愛し、華やかな才能はなかったかもしれないが、それを補って余りある意志と情熱があった十返肇、酒に溺れて、ほとんど食事をとらず、自分自身の「とりあつかい方」を誤った石原吉郎、「労働と詩は両立するのか」と自問し、「私は根本のところでしないと考えている」と答えた辻征夫、縁側の椅子に座って、ラブミー牧場をながめながら、静かに息をひきとった深沢七郎、そういえば私はどちらかというと、仕事がさし迫ってくると怠けだす傾向があると言い放った梅崎春生など、一癖も二癖もある人たちについて、ローアングルによる観察者としての目で書かれています。
著者は、常に作品よりも作者の生き方、表現者の葛藤、ものを作るときの姿勢や心のあり方に興味があると言っております。それはおそらく、この「斜陽の時代をどう生きていけばいいのか」という問題について、ずっと真摯に考えてきたからと思われ、随所にその生真面目さが出ています。決して怠け者ではないのです。
2011-10-05 Wed 18:32 | 新刊本
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●地下鉄東西線「西11丁目駅」下車
3番出口直結 南大通ビル9階
●市電「中央区駅前」停留所より
徒歩約2分
●近隣に有料駐車場有り
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