Renkei日記 - 八十島法律事務所

2012-12-19 Wed

司修 「孫文の机」 (白水社)  2012年11月10日刊


 著者は、画家の大野五郎氏と、59年の夏ころから、2006年3月に96歳でなくなられるまで、親しく付き合っていました。この大野五郎という人の祖父も、そして父親も、あの谷中村の村長をしており、12歳年上の兄が和田日出吉、3歳上の兄が逸見猶吉です。
 和田日出吉という人は、女優の小暮実千代の夫だった人で、戦前は新聞記者として、2・26事件のときに、いち早く首相官邸に入って取材をしたり、財閥批判の記事を書いたりしていたのですが、戦争中は、満州にわたり、新聞社を経営したり、あの甘粕正彦が理事長を勤めていた満州映画協会の理事をしたりしていました。
 次兄の逸見猶吉は詩人で、学生時代にバーを経営し借金を作り函館に逃げたり、戦争中は、兄と同様満州に渡っていますが、当初は詩人であることは隠して生活していたのですが、晩年には、満州文芸家協会を代表する人物となり、戦意高揚詩を書いていますが、満州で病死しています。
 猶吉について、著者は、「詩人逸見猶吉の魂の死は単純なものではない。毒ガスの臭いを誰よりも早く嗅いで死ぬカナリアのごとく死を選んだ。それはマユタン(幼くして死んだ娘のこと)を救う詩が書けない詩人の方法であったのだと思う。」と書いています。
 書名となっている孫文の机とは、日出吉が、雑司ヶ谷の古道具屋で買い求めたもので、日出吉から、孫文が持っていたものだから大事に使えといわれ、五郎氏がもらったものということですが、五郎氏は、あっさり友人にあげています。これは、五郎氏が、鉛のように重たい問題を断ち切ったのではないかと著者は考えています。
 著者は、この孫文の机をとおして、この三兄弟が生きた昭和のはじめから戦争中の時代、この時代は2・26事件から戦争へと続いた時代でしたが、「津波のごとく襲った歴史の恥部が」現れてきたと述べています。そして、「孫文の机」は昔のことではないと言っています。
 

2012-12-19 Wed 18:48 | 新刊本

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