Renkei日記 - 八十島法律事務所

2012-07-31 Tue

丸山薫 「北國」 (臼井書房) 昭和21年9月20日刊


「少々自慢」では、詩人の蜂飼耳がこの本を取り上げています。蜂飼は「わたしの『北國』は枯れている。他所の本が気になるほど、わたしの『北國』はかさかさと乾き、寂しく、そして枯れている。まるで蝉の抜け殻か何かのようだった。」と書いていますが、私の持っている『北國』も枯れています。蜂飼は、丸山の第一詩集である「帆・ランプ・鷗」の中の「離愁」を称して、「一篇の中で何事か成し遂げられたかのような詩は、本当はほとんど存在しないという気がする。」、「この詩のためなら、多少のことは我慢してもいい、という気持ちになる。」と書いています。そしてその「離愁」の丸山薫だよと思いながら「北國」のページを繰ると書いています。
      「北國」から
遠く鳴る汽笛の音を聴くたびに
私は思ふ
――あのときの汽車が運んだ雪は
  この國の雪だったのだ  と
そして また想ひ起こすのだ
都會の歩廊におり立った旅客達の
太陽に遠ざかった眼差を
それから いまの私が
そんな瞳をしてはゐないか  と

2012-07-31 Tue 17:33 | 古本

2012-07-31 Tue

伊藤整詩集 (光文社) 昭和29年11月10日刊


 「少々自慢」では、高田宏氏が取り上げています。高田氏は、昭和30年に光文社に入社し、この詩集の担当編集者の古知庄司の大学の後輩であった関係で、入手したかもしれないと書いています。この詩集は、伊藤整の詩のすべてを収めていて、あとがきによれば、昭和3年に小樽から上京してから、思想的にはアナキズムやマルキシズムが起こり、文学形式の上では、モダニズムが起こって、そういう時代思潮への関心と、初めての東京での生活が、それまでの北國の自然や素朴な生活から完全に私を切り離してしまい、そのために、私は次第に詩を書かなくなったしまったとあります。充分想像できますね。ではありますが、詩作していたころの自分や、その作品をとても大事に思っているとも書いています。
     「月夜にめぐり逢ふ」から
 よく見れば間違ひではない  
風のとほるたび
 木の葉は水のやうに月光をこぼしてゐる
 道にははっきり私の影が浮いてゐるから
 きっと肩から背中いっぱい
 私は月光をあびてゐるにちがひない

2012-07-31 Tue 17:30 | 古本

2012-07-31 Tue

EDI叢書 「少々自慢この一冊」 (EDI) 2001年5月31日刊


 読んで感銘を受けた本を紹介するという企画はこれまでたくさん出ていると思いますが、人に自慢するという観点からのものは、これまであるようでなかったと思います。編者である保昌正夫は、あとがきで、「少々自慢」とは、はずかしながらの意である、はずかしながらが在って、書きものは通用すると書いています。
「少々自慢」の理由ですが、希少性のほかに、内容からというのが最も多く、その本によって、文学が見えたとか、人や本が、それに接する人間を感動させるということは、そこに鏡のように自分の気付かなかった己の姿を見るからではないかと書いている人もいます。
この中で取り上げられている本の中で持っているものは、伊藤整詩集、丸山薫「北國」、加藤一雄「無名の南畫家」の3冊で、加藤一雄は以前取り上げていますので、次に前の2冊を紹介します。
ちなみに、欲しいと思った本は、稲垣足穂の「第三半球物語」(金星堂)1927年3月20日刊です。

2012-07-31 Tue 17:27 | 古本

2012-07-19 Thu

荒川洋治 「詩とことば」 (岩波書店) 2004年12月16日刊


こちらが元本です。編集委員の加藤典洋は、「いま、この時代に、ことばを生きるということがどのような経験であるのかについて、5人の編集委員(荒川もその一人)が、ことばとの付き合いが教えてくれたことを書いてみたとあります。
 荒川は、「散文は、個人的なものをどこまでも擁護するわけにはいかないもので、その意味では冷たいものであるが、詩のことばは、個人の思いを、個人のことばで伝えることを応援し、支持する、それがどんなに分かりにくい言葉で表わされていても、詩は、それでいい、そのままでいいとその人にささやくのだ。」と書いています。
 また、「でも本当に詩は、読まれていいのだろうか。読まれてしまったらおしまいではないか。人に読まれないからこそ、詩は生きることができる。」とも書いています。

2012-07-19 Thu 17:39 | 新刊本

2012-07-19 Thu

荒川洋治 「詩とことば」 (岩波現代文庫) 2012年6月15日刊


元本は、岩波書店の「言葉のために」のシリーズの1冊として出ています。この文庫は、新たに書き下ろされたものが6編含まれています。その一つが、「詩の被災」と題されたもので、
 大きな災害のあとで、大量のたれながしの詩や歌が書かれて、文学「特需」ともいうべき事態が生じた。それが、受け取った人々からすれば、「そうか。詩は、この程度のものなのだ。」と感じさせることになった。だとしたら、これは「詩の被災」である。戦後に書かれた詩の「意識」に、ひとついいところがあったとしたら、だいじなことは書くが、書かないことについては書かないということだ。簡単には同調しない。機に乗じない。「詩の被災」について詩人たちが意識を持たないことは、戦後の詩の理念が崩壊したことの印である。
 と書いています。激烈ですね。

2012-07-19 Thu 17:37 | 新刊本

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