2011-10-05 Wed
道の中央を歩くと、まぶしくて倒れそうになるから、いつも道の端の日陰を歩いていた天野忠、二十歳を前に「もう俺は、だめなんだ」と書き、その自分の言葉にとらわれ、悪あがきすることをよしとしなかった矢牧一宏、愚直に文学と酒を愛し、華やかな才能はなかったかもしれないが、それを補って余りある意志と情熱があった十返肇、酒に溺れて、ほとんど食事をとらず、自分自身の「とりあつかい方」を誤った石原吉郎、「労働と詩は両立するのか」と自問し、「私は根本のところでしないと考えている」と答えた辻征夫、縁側の椅子に座って、ラブミー牧場をながめながら、静かに息をひきとった深沢七郎、そういえば私はどちらかというと、仕事がさし迫ってくると怠けだす傾向があると言い放った梅崎春生など、一癖も二癖もある人たちについて、ローアングルによる観察者としての目で書かれています。
著者は、常に作品よりも作者の生き方、表現者の葛藤、ものを作るときの姿勢や心のあり方に興味があると言っております。それはおそらく、この「斜陽の時代をどう生きていけばいいのか」という問題について、ずっと真摯に考えてきたからと思われ、随所にその生真面目さが出ています。決して怠け者ではないのです。
2011-10-05 Wed 18:32 | 新刊本
2011-09-27 Tue
散文選とあるように、山田氏がこれまで書いてきたエッセイなどから、堀江敏幸氏が選んで1冊としたものです。昨年出た「マピヨン通りの店」(編集工房ノア)からも1篇とっています。
堀江氏も解説で書いていますが、山田稔は、固有名詞であると同時に、一つの文学ジャンルであるといえます。
出会いに手続が必要なように、別れにも手続が欠かせません。そんな視点から選ばれた各篇は、どれも美しく、切ない想いにさせられます。
2011-09-27 Tue 18:00 | 新刊本
2011-09-27 Tue
詩人の荒川さんは、これまで多くのエッセイや書評を書いており、たいていのものは読んでいますが、「詩」について語ったものは、それほど多くないと思います。事実、この本が出た時点(1988年12月)で、初めて純粋に詩論だけを集めた本とあります。
詩について書かれた本には、難しく書かれたものが多いのですが、その点、この本は比較的分かりやすいように書かれています。
「詩」とは何かについてですが、荒川さんは、「ことばになっているところより、ことばになっていないところ、つまり余白の部分にひろびろとした世界があることを表わすこと、ただそれを表わすのは有限のことばなのだ。コピーは、いかに詩的なものをかもし出したとしても、そこにはことばの限りを尽くすというこころざしがない、同時におもいの限りをそこで尽くそうというこころざしもない。」と書いています。
2011-09-27 Tue 17:40 | 古本
2011-09-10 Sat
いや、この手のものは、受けると思います。帯には、「最高傑作、完璧。永遠にこの世界にひたっていたい。気がつけば涙!」とありますし、新聞の書評でも「物語ることによって世界が変わりうるということを、これほど鮮やかに切実に伝えてくれる短編にはなかなか出会えるものではない。」と書かれています。世界ってそんなに単純なのかという突っ込みはさておき、私が一番感心したのは、ジャケットで、四谷シモンの人形の写真が使われていて、著者自装とあります。これが素晴らしい。
2011-09-10 Sat 11:32 | 新刊本
2011-09-10 Sat
ハヤカワ文庫は、SFと全く関係のないエッセイも出していたんですね。
この本は、スクラップについて書かれたエッセイですが、内容もさることながら、ジャケットがよいですね。安西水丸氏の作です。
2011-09-10 Sat 11:26 | 古本
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