Renkei日記 - 八十島法律事務所

2013-10-01 Tue

河野仁昭「詩のある日々〜京都」(京都新聞社) 1988年11月5日刊


 著者は詩人でもありましたが、昨年2月20日に逝去されました。第1部は、京都新聞に連載していたもので、代表的な詩人の作品を取り上げ論評しています。例えば、「詩の題材には急所のようなものがあって、急所が見えてきたとき、ひょいと掬いあげる。」(天野忠)、「過去の詩人の在り方を徹底的に批判した筆頭は彼であった。」(黒田三郎)、「戦後社会に復帰したとき、犠牲の意味も、生きていく意義も見出しえなかった。」(鮎川信夫)、「十全な生が得られない社会は、十全な死もまた得られぬ社会なのである。」(田村隆一)といった記述が見られます。
 第2部では、戦後の京都で詩活動をおこなった人のことを書いています。なかの、「黒瀬勝巳を悼む」というところで、「生前は一冊の詩集しか持たなかった。血のつながる者への愛惜と、生活者の苦渋を、一見軽いと見られるタッチで、しんみりと描いた。」と書いています。その彼の「背中」という詩が引用されています。
  たしかに広い背中だが     娘よ
  黒板じゃないのだ
  おまえは チョークをもって  おれの背中に
  おぼえたての くろせの「く」 を書きたがるが
            (略)
  娘よ   ひっかついてきたすべてのものをおろし  
  もう   どんな「く」だって
  背負いたくない
  とおれは思っているのだ

2013-10-01 Tue 20:09 | 古本

2013-09-18 Wed

内堀弘 「古本の時間」 (晶文社) 2013年9月10日刊


内堀氏の「石神井書林目録」、「ボン書店の幻」に続く3冊目の著作です。内堀氏は詩歌専門の古本屋さんで、店売りはせず、目録販売をしています。私も目録が送られてくるのを楽しみにしております。
 この本は、同業者の話や、仕事上の苦労話、そして今はなき「彷書月刊」という雑誌の話など様々なことが書かれていますが、とても含蓄のあるフレーズがたくさん出てきます。例えば、
 「古書の世界にたどり着くものを見ていると、どうしてもこの世から消せないものはあるのだと思う。燃やすことも、捨てることも、何もできずに、なんだか分からないものとして遺されていくもの。そこに憑いたその人の時間や気配が遺っているのだ。」
 「本はものを伝える雰囲気そのものだと思う。こういう『気』が備わっているものを、古本屋の棚は残してきた。」
 「書物(紙の器)は、それ自体が物語なのだ。」
 田村治芳(彷書月刊の編集長)が、雑本、雑読こそ古本屋の原点であると話すのを聞いて、「田村さん、それではもう古本屋は食べてはいけないんだよ。しみじみそう思うのだけれど、でもそれをなくしたら、たしかに私たちは古本屋ではなくなってしまう。」
  

2013-09-18 Wed 19:38 | 新刊本

2013-09-13 Fri

寺島珠雄編著「釜が崎語彙集1972−1973」(新宿書房)2013年8月5日刊


 本書が書かれた40年ほど前は、釜が崎では暴動が頻発していました。それは、日雇労働者の生きるための戦争でした。これは、そんな時代に「釜が崎」にまつわる問題を、事典の形式を使っていますが、抉ったドキュメンタリー、ルポルタージュとなっています。
 例えば「学生」という項目では、「どちらへでも、その気になれば転生できる人間=学生ということである。プチブルを非難しても自分を決してプチプロとして認めなかったのが、新左翼運動の一つの欠陥ではなかったか。」と書いています。
 「釜が崎」の問題をあらゆる方向、視点から分析したすごい本だと思います。
 現在「釜が崎」の戦争は鎮圧され、街は静かに老いました。しかし、本当に恐ろしいのは、現代においては「全国が釜が崎化し、釜が崎は特殊から一般に転じた」ことなのです。
 

2013-09-13 Fri 19:56 | 新刊本

2013-09-12 Thu

高木護詩集 (五月書房) 昭和49年11月15日刊


 限定1000部のうちの359号です。高木は放浪しながらも、若いときから詩を書いていました。この詩集は、それまで出した詩集および未刊の詩集から、高木自身が選んで編んでいます。その中から。
        秋
 子供とぼくはいる
 ふたりでいる
 草の上に坐っている
 空を見上げている
   見えるものは、みんな他人のものだよ
   うん
 親のぼくの頭も弱いが 
 どうやら
 子供の頭も弱いようである
   見えないものがきっとぼくらのものだよ
   うん
   はらが減ったか
   うん、へった  

2013-09-12 Thu 19:19 | 古本

2013-09-12 Thu

高木護 「人間浮浪考」(財界展望新社)昭和48年5月1日刊


 高木は、熊本県に生まれ、14歳から家を出て働き、人夫を中心に百以上の職につき放浪。ごろ寝、ぶらぶらの旅を続けた人でした。
 この本は、彼と同様に浮浪し野垂れ死にした、木喰上人、種田山頭火、長谷敏男、辻潤、尾形亀之助、矢橋丈吉、宗不旱、尾崎放哉、吉村光二郎といった人たちを取り上げオマージュを捧げています。こんなことを書いています。
 「私が出遭った三十年も四十年も人夫をしている相棒たちの顔は、翁の面のように美しかった。少々カリカチュウルにいわせてもらうと、修行のつんだ禅坊主のような顔でもあり、鉄鉢を捧げた行乞僧のような顔でもあった。あんな美しい顔になれるんだったら、老いて働けなくなって、行き倒れになってもいいから人夫のままで生を終わったとしても満足だ、とわたしはたしかめるように何度もつぶやいたものだった。」

2013-09-12 Thu 19:15 | 古本

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