2012-07-31 Tue
読んで感銘を受けた本を紹介するという企画はこれまでたくさん出ていると思いますが、人に自慢するという観点からのものは、これまであるようでなかったと思います。編者である保昌正夫は、あとがきで、「少々自慢」とは、はずかしながらの意である、はずかしながらが在って、書きものは通用すると書いています。
「少々自慢」の理由ですが、希少性のほかに、内容からというのが最も多く、その本によって、文学が見えたとか、人や本が、それに接する人間を感動させるということは、そこに鏡のように自分の気付かなかった己の姿を見るからではないかと書いている人もいます。
この中で取り上げられている本の中で持っているものは、伊藤整詩集、丸山薫「北國」、加藤一雄「無名の南畫家」の3冊で、加藤一雄は以前取り上げていますので、次に前の2冊を紹介します。
ちなみに、欲しいと思った本は、稲垣足穂の「第三半球物語」(金星堂)1927年3月20日刊です。
2012-07-31 Tue 17:27 | 古本
2012-07-19 Thu
こちらが元本です。編集委員の加藤典洋は、「いま、この時代に、ことばを生きるということがどのような経験であるのかについて、5人の編集委員(荒川もその一人)が、ことばとの付き合いが教えてくれたことを書いてみたとあります。
荒川は、「散文は、個人的なものをどこまでも擁護するわけにはいかないもので、その意味では冷たいものであるが、詩のことばは、個人の思いを、個人のことばで伝えることを応援し、支持する、それがどんなに分かりにくい言葉で表わされていても、詩は、それでいい、そのままでいいとその人にささやくのだ。」と書いています。
また、「でも本当に詩は、読まれていいのだろうか。読まれてしまったらおしまいではないか。人に読まれないからこそ、詩は生きることができる。」とも書いています。
2012-07-19 Thu 17:39 | 新刊本
2012-07-19 Thu
元本は、岩波書店の「言葉のために」のシリーズの1冊として出ています。この文庫は、新たに書き下ろされたものが6編含まれています。その一つが、「詩の被災」と題されたもので、
大きな災害のあとで、大量のたれながしの詩や歌が書かれて、文学「特需」ともいうべき事態が生じた。それが、受け取った人々からすれば、「そうか。詩は、この程度のものなのだ。」と感じさせることになった。だとしたら、これは「詩の被災」である。戦後に書かれた詩の「意識」に、ひとついいところがあったとしたら、だいじなことは書くが、書かないことについては書かないということだ。簡単には同調しない。機に乗じない。「詩の被災」について詩人たちが意識を持たないことは、戦後の詩の理念が崩壊したことの印である。
と書いています。激烈ですね。
2012-07-19 Thu 17:37 | 新刊本
2012-07-14 Sat
定価50円。吉岡実が、ゾッキ本として購入したという詩集です。
はしがきの中で、西脇は、「自分の中にもう一人の人間がひそむ。通常の理知や情念では解釈の出来ない、割り切れない人間がゐる。これを自分は「幻影の人」と呼びまた永劫の旅人とも考える。この詩集はさうした「幻影の人」の立場から集めた生命の記録である。」と書いています。
無限の過去の或時に始まり
無限の未來の或時に終る
人命の旅
この世のあらゆる瞬間も
永劫の時間の一部分
草の實の一粒も
永劫の時間の一部分
有限の存在は無限の存在の一部分
2012-07-14 Sat 15:50 | 古本
2012-07-13 Fri
こちらが元本で、当時としては価額も高かったとありますが、2900円です。
1955年からその当時まで折々に書いたエッセイのすべてを収録したとあり、装幀も著者自らしています。
増補版では、意にみたない五篇を省いたとあります。どの辺が意にみたなかったのか気になるところです。吉田一穂の「羅甸薔薇」を神保町の露天市でゾッキ本として出ていたのを買ったというところでしょうか(またしてもゾッキ本)、あるいは私のもっとも気に入った作品は「故園の書」としながら、書斎のどこかに埋没していると書いているところでしょうか。また、金子光晴について、臆面もない女への執着だと書いているところでしょうか。
2012-07-13 Fri 18:00 | 古本
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