2012-06-01 Fri
恩地孝四郎は、詩人であり、版画家であり、萩原朔太郎の「月に吠える」を装幀した、装幀家としても知られています。この本は、一つの伝記となっていますが、著者は、作品と時代を通じて、十分にひとりの人間の生涯はつづれるとの考えから、彼の私生活の記述はほとんどありません。
大正から昭和にかけてのモダニズムに興味のある人は、ぜひお勧めですね。
この本のカバーは、恩地の「赤について」という作品と「自分の死貌」という作品が使われており、凝った装幀がなされています。また、装幀資材についても言及されていて、こだわりが感じられます。
2012-06-01 Fri 18:31 | 新刊本
2012-05-30 Wed
「詩のこころ・美のかたち」をより詩の鑑賞のために特化した内容となっています。
詩は間違っていなければならない
詩ははみ出し落ちこぼれものだ
詩は言葉の対比で生まれる
詩は吃驚させるものである
詩はモンタージュである
小さきものに詩はある
限りなく遠いところに詩はある
詩は異端である
こうして目次を書き連ねるだけで、一篇の詩のようです。
杉山氏は、この本を書いた理由について、「もとより読者が少数であることは詩の誇りなのだが、こんにち詩の書き手にしか読まれていないという、あまりにも自家中毒気味になっているので、この狭く小さいところに入り込んでいる詩の仕切りをはずして、広いところへ開放させたいのである。」と言っています。
2012-05-30 Wed 17:26 | 古本
2012-05-30 Wed
芸術とは何か、詩は何を表現しようとしているのか、美しいとはどういうことなのかを、模倣、浄化、リズム、反復、一瞬、永遠、隠微といった19の観点から、実際の作品をもとに示したものです。例えば、
真似とか、模倣による追体験は、そのまま感動の表現である(模倣)
我々は、しばしば芸術的感動を語るとき、それが深ければ深いほど、いつの間にか音楽的表現を用いていることに気付くことがある(リズム)
反復への喜びは、人間の本源的なものに触れつながる、深い感情である(反復)
抽象図形に、こころの内面の、とらえどころのない、かたちのない気持ちが、顕在化されてくるのである(装飾)
物そのものを、別の意味にとる抽象化、観念化の作業こそ、芸術の創造というものに他ならない(象徴)
国語の試験に使えそうだと思いました。
2012-05-30 Wed 17:22 | 古本
2012-05-29 Tue
この本は、昭和27年9月10日に審美社から出された「ミラボー橋」に、それ以降に書かれたものをまとめて1冊としたものです。杉山氏は、「詩がどうあるべきかを考えるにつれ、私は詩を作るために自らをひどくゆがめなければならないのに次第にくるしくなってきた。そして自分がもっとも素直に自分であるために、これら数々の散文を試みてみた。」と書いています。
「隠す」という文章から
生きるというのは、隠すということである。言葉は、隠すためにある。言葉は衣服である。しゃべったり、書いたりするのは、自分がいかに立派であるかを見せるためである。書くことは自分を隠す喜びである。嘘は表現のはじまりである。隠すべきなにものもなくなったとき、僕はどうしようかと思う。
2012-05-29 Tue 18:03 | 新刊本
2012-05-29 Tue
杉山平一氏も、去る5月19日にお亡くなりになりました。この詩集は、昭和18年に出されたもので、平成19年に判型を小さくして復刻されたものです。
「町にて」から
ジンタなんかより 花火なんかより
日曜日の街に若い父母と一杯の子供達をつめて走っている
自動車の中や
暗い街を轟々と人々をつめて走って来る
明るい市内電車の中の方が
もっとずっと賑やかで
もっとずっと物悲しい
ご冥福をお祈りします。
2012-05-29 Tue 17:59 | 新刊本
TOP | 166-170/248件表示 34/50ページ : <前のページ [ << 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 >> ] 次のページ>