2013-02-21 Thu
ボン書店がらみで、こんなものもあります。これは、昭和7年5月から昭和9年8月まで17巻ボン書店から出版されていた「マダム・ブランシュ」という雑誌の、表紙、奥付、広告の写真と、目次をまとめたものです。
構成は、黒木まがりという方で、よく集められたなと思います。
この雑誌の編集は、鳥羽茂がしており、瀧口修造、北園克衛、春山行夫、山中散生、左川ちか、阪本越郎、井上多喜三郎などそうそうたるモダニストたちが寄稿しています。
2013-02-21 Thu 21:28 | 新刊本
2013-02-21 Thu
山中の第一詩集がこれです。タイトルは火串戯と書いて、火遊びと読みます。山中は、シュールレアリストであり、シュールレアリスムの正しい紹介者でした。
なので、
君はうなぎ丼あなたは鯛めし僕は癇癪
折鞄は網棚へ、明日なら歳が喰べられた
というものもありますが、こんなのもあります
雨の脚
僕のアンブレラのなかには君もゐる
この窓あの屋根を下ってもろもろの口笛も戻る
君はそんなに耐へかねてゐる
僕はそんなに剛情だ
小鳥たちが超え聲を落として羽搏くこともやる
夕暮が夜に呑まれた
僕のアンブレラのなかには僕はゐない
当時この本の装幀上の特色(用紙は山家紙、外装はカス入り楮紙)が、フランスのシュールレアリストに大きな反響を与えたそうです。
2013-02-21 Thu 21:25 | 古本
2013-02-21 Thu
編集兼発行者は北園克衛で、「VOU」を改題したものです。昭和23年に発行され、6号で終刊となったようです。写真のものは、そのうちの第1号と2号です。黒田三郎や、山中散生、田村隆一などが寄稿しています。
第2号で、山中は、「サッポロ通信」と題して、こんなエッセイを書いています。
「札幌に住むようになってから丁度一年半になる。文化的に索莫たるこの土地での生活の単調さは想像以上である。(略)すべての通行人の表情は固く、服装は汚い。」
山中は、NHKに勤務していて、昭和21年6月に札幌に来て、昭和23年5月に静岡に転勤しています。山中は昭和36年に退職し、昭和52年に亡くなっています。
2013-02-21 Thu 21:17 | 古本
2013-02-13 Wed
先に紹介した「ツェッペリン飛行船と黙想」の中に、私の代表作というのがあって、上林は、「野」について、「(この作品は、)具眼の士によって私的には認められながら、それが公の場で認められることがなかった。広く読まれる性質の作品ではないが、私の魂の真髄がこめられている作品であると自認している。」と書いています。
この「野」という作品が収められているのが、この作品集です。
この文庫の解説は、伊藤整が書いているのですが、この作品について、「この作品は態度としても一貫していないし、その内面告白も多く蔽われている。ある部分では戦闘的に生に対して強く出、ある部分は自己の存在を疑い、ある部分は抒情し、ある部分は夢想し詠歎している。しかし描くこと、感ずること、生きることが一つになろうとする芸術家の生命の誕生の苦しみという点では一貫した重厚なものがあり、ここを経た人はどのようなことにも屈服し切らないと推定される強さに達している。」と、評しています。
2013-02-13 Wed 20:52 | 古本
2013-02-07 Thu
上林は、筑摩書房から全集が出ているのですが、この本は、全集に未収録となっていた未発表原稿と媒体発表の作品を集成したものです。
いろいろ気になったところがあるのですが、たとえば、井伏鱒二について、「井伏氏は、モーパッサンのある作品について、『あの最後の方の一行アキは素晴らしいねえ』と言ったことがある。一行アキの効果まで読み取る人である。」、戦後の小説ベスト5というアンケートに答えて、遥拝隊長(井伏鱒二)、鳴海仙吉(伊藤整)、名人(川端康成)、斜陽(太宰治)、虫のいろいろ(尾崎一雄)を挙げています。
この本の最初に、彼の詩が紹介されていて、そのタイトルが、この本の書名にもなっているのですが、当時の時代の雰囲気を反映したモダンなもので、驚かされます。
2013-02-07 Thu 17:30 | 新刊本
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